スーザン・ストレンジ(Strange, Susan)について
初版 : 02/04/01 11:50:10
最終更新 : 04/10/13 20:15:55
スーザン・ストレンジ(Strange, Susan)について
・日本でも近年、諸先生方の紹介のおかげで、スーザン・ストレンジ(1923-1998)の著作が徐々に紹介され、国際政治経済学者のみならず広く社会科学の各分野において広範な読者を獲得するようになっている。
とは言え、ストレンジの思想と見解を、国際政治経済学のなかに正しく位置付けようと試みる仕事は、いまだなされていないように思われる。国際政治経済学のページの記述とも関連するが、とりわけ関東の国際政治経済学のなかでは、ストレンジそのものを正面から評価する機運があまりないようにさえ、見受けられる。
しかし、ストレンジはISAの会長まで務めた人物である。また私見では、ストレンジは国際政治経済学の重要な方法論的展開をもたらした者として、より詳細に検討されるべきであると考える(これは私の今後の課題のひとつである)。
・1990年代は、ストレンジの著作が日本で本格的に紹介された時代であった。2000年代は、この段階から一歩進んで、彼女の雑誌論文も含めて紹介されるべきである、と考える。また彼女の思想と見解を、国際政治経済学の学説史のなかに位置付けて評価すべきである、と考える。
・このページは、こうした課題のために、またすべての国際政治経済学者・国際関係論者・世界経済論者のために、さらにストレンジに関心をもつすべての人に対して、彼女についての有用な情報を提供することを目的としている。
<ストレンジとは?>
英国の人名事典「Who's Who 1998」や雑誌論文の寄稿者紹介などを参考にして
<パーソナル・データ>
1923年6月9日、Col Louis StrangeとMarjorie Beath Strangeのあいだに生まれる。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス卒業(学位:経済学)。
1942年にDr Denis Merrittと結婚して一男一女を授かるが、1955年に離婚(Dr Denis Merrittは1993年に死去)。その後、1955年にClifford Sellyと再婚し、二男一女を授かる(息子の一人は故人)。1998年10月25日、75歳の生涯を閉じる。
<職歴>
1944-46:The Economist 勤務
1946-57:Observer 勤務
アメリカでは、ワシントンにて経済部特派員(史上おそらく最も若い23歳で、ホワイトハウス担当)を務めた。またニューヨークでは国連の取材を担当。
その後イギリスに戻り、ロンドンにて経済部記者およびLeader-Writer(論説主幹)を務める。
1949-64:University College London 国際関係論講師
1965-76:RIIA(王立国際問題研究所) シニア・リサーチ・フェロー
1976-78:German Mashall Fund フェロー
1978-88:LSE 国際関係論 Montague Burton 教授
一時期、Department of Political Scienceの学科主任も務める。のちに名誉教授となる。
1989-93:ヨーロッパ大学院(イタリア:フィレンツェ) 国際関係論教授
1993-98:ウォーウィック大学 国際関係論教授
この他、International Studies Association創立以来の副会長を務め、会長(1995-96年度)にも就任した(非アメリカ人で初)ほか、イギリス国際学会設立発起人(cofounder)も務めた。
また、サザン・カリフォルニア大学、ミネソタ大学、カリフォルニア大学デービス校、オーストラリア国立大学、ジョンズ・ホプキンス大学ボローニャ・センター、国際大学などの客員教授も務めた。
<趣味>
・料理、ガーデニング、テニス
<生前の住所>
Weedon Hill House, Aylesbury, Bucks HP22 4DP.
Telephone: (01296) 27772.
<追悼文>
Richard Higgott & Roger Tooze による追悼文 ( ウォーウィック大学のCentre for the Study of Globalisation and Regionalisation のニューズレターに掲載されたもの。 pdfファイルの3ページ目からです )
Chris Brownによる追悼文 ( ISAのホームページに掲載されたもの。→ 2004年10月現在、リンク切れ)
Robert W Cox / Roger Tooze / Barry K. Gills による追悼文 ( BISAのInternational Political Economy Groupのニューズレターに掲載されたもの )
[付記]
Robert W Cox / Roger Tooze / Barry K. Gills による追悼文の存在については、下関市立大学の高嶋正晴先生からお教えいただきました(2004年9月19日)。御礼申し上げます。
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